教えて--みなさんのお知恵拝借
翻訳実務サポート会議室Ver. 1.27.2
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◇┳和訳の勉強中-投稿者:(10/16-15:39)No.178
 ┗┳Re:和訳の勉強中-投稿者:よーし(10/16-16:13)No.181
  ┣┳訂正-投稿者:よーし(10/17-00:53)No.183
  ┃┗━Re:訂正-投稿者:(10/21-13:00)No.186
  ┗┳Re:和訳の勉強中に関する私見-投稿者:marquee(10/27-18:26)No.196
   ┗┳Re:和訳の勉強中に関する私見-投稿者:よーし(10/28-02:31)No.198
    ┗┳Re:和訳の勉強中に関する私見-投稿者:marquee(10/28-17:08)No.200
     ┗━Re:和訳の勉強中に関する私見-投稿者:よーし(10/28-20:46)No.201


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和訳の勉強中17810/16-15:39

実際の仕事でなくて失礼致します。
実は少し古い教材なのですが、光ファイバの雑誌記事の和訳で教えて頂きたいところがあります。
電話ケーブルを切断して見たら、の続きで

Peering closely, I could see what made this so-called light-guide cable so radically different from its predecessors.

という原文で、拙訳は

「もっと近くによって見ると、この光導波ケーブルと呼ばれるものが従来のものとは大きく異なっていることが分かった。」

で、made のニュアンスが出し切れていないなあと感じてたんですが、その本に載っている模範訳が

「よくのぞくと、銅線ケーブルとはまるで違ういわゆる光導波ケーブルが見えた。」

となっており、これはmadeを無視しているように思えるのですが、これで正しいのでしょうか?
幼稚な表現になってしまいますが、この文の see の目的語は「光導波ケーブルを従来の銅線ケーブルとラジカルに異ならせるもの」ではないのでしょうか?

ご教示、よろしくお願い致します。


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Re:和訳の勉強中よーし 18110/16-16:13
 記事番号178へのコメント

花さんは No.178「和訳の勉強中」で書きました。
>実際の仕事でなくて失礼致します。
>実は少し古い教材なのですが、光ファイバの雑誌記事の和訳で教えて頂きたいところがあります。
>電話ケーブルを切断して見たら、の続きで
>
>Peering closely, I could see what made this so-called light-guide cable so radically different from its predecessors.
>
>という原文で、拙訳は
>
>「もっと近くによって見ると、この光導波ケーブルと呼ばれるものが従来のものとは大きく異なっていることが分かった。」
>
>で、made のニュアンスが出し切れていないなあと感じてたんですが、その本に載っている模範訳が
>
>「よくのぞくと、銅線ケーブルとはまるで違ういわゆる光導波ケーブルが見えた。」
>
>となっており、これはmadeを無視しているように思えるのですが、これで正しいのでしょうか?
>幼稚な表現になってしまいますが、この文の see の目的語は「光導波ケーブルを従来の銅線ケーブルとラジカルに異ならせるもの」ではないのでしょうか?
>
>ご教示、よろしくお願い致します。
>
>

もっとrefineできるかもしれませんが、
「よくのぞくと、いわゆる光ケーブルと従来の銅線ケーブルの本質的な違いが分かった。」というのはどうでしょうか?


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訂正よーし 18310/17-00:53
 記事番号181へのコメント

よーしさんは No.181「Re:和訳の勉強中」で書きました。

>
>もっとrefineできるかもしれませんが、
>「よくのぞくと、いわゆる光ケーブルと従来の銅線ケーブルの本質的な違いが分かった。」というのはどうでしょうか?

「よくのぞくと、いわゆる光ケーブルと従来の銅線ケーブルの本質的な違いが分かった。」の「よくのぞくと」を
「目を凝らして見ると」に訂正します。


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Re:訂正18610/21-13:00
 記事番号183へのコメント

>「よくのぞくと、いわゆる光ケーブルと従来の銅線ケーブルの本質的な違いが分かった。」の「よくのぞくと」を
>「目を凝らして見ると」に訂正します。

ほんとうですね。「違いが分かった」だと made のニュアンスでてますね。
ということは、模範訳はあまり模範にならないのでしょうか?

Anyway、どうもありがとうございました。


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Re:和訳の勉強中に関する私見marquee 19610/27-18:26
 記事番号181へのコメント

 突然乱入させていただいて失礼します。たまたまネットサーフィンをやっていたら、このページが目に入って、
ちょっと気になる点があったので、一言投稿させていただきたいと思います。

>>
>>Peering closely, I could see what made this so-called light-guide cable so radically different from its predecessors.
>>
>>という原文で、拙訳は
>>
>>「もっと近くによって見ると、この光導波ケーブルと呼ばれるものが従来のものとは大きく異なっていることが分かった。」
>>
>>で、made のニュアンスが出し切れていないなあと感じてたんですが、その本に載っている模範訳が
>>
>>「よくのぞくと、銅線ケーブルとはまるで違ういわゆる光導波ケーブルが見えた。」
>>
>>となっており、これはmadeを無視しているように思えるのですが、これで正しいのでしょうか?
>>幼稚な表現になってしまいますが、この文の see の目的語は「光導波ケーブルを従来の銅線ケーブルとラジカルに異ならせるもの」ではないのでしょうか?
>>

 まず、このseeの目的語はまさにwhat以下全体であると思われます。
 従って、what以下の原文を直訳すると「何が、このいわゆる光導波ケーブルをかくも根本的に従来のものと異な
らせているのか」ということになると思います。
 すなわち、「なぜこんなにも従来のものと異なっているのか」ということを I could see だということになる
と思います。

 さて、そこで私の質問なのですが、この could は、(前後関係がないこともあってよくわからないのですが)
「(実際に)できた」という意味でしょうか、それとも、「(やろうと思えば)出来ただろう(が、実際にはしなかっ
た)。」という意味(仮定法)になるのでしょうか?
 文法的には後者(従って、「もっと緻密に観察していれば、根本的に異なる理由が解ったことだろう」)が一般的だ
と思うのですが・・・

 お分かりの方は、ぜひご返事お待ちしています。よろしく。

 


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Re:和訳の勉強中に関する私見よーし 19810/28-02:31
 記事番号196へのコメント

marqueeさんは No.196「Re:和訳の勉強中に関する私見」で書きました。
> 突然乱入させていただいて失礼します。たまたまネットサーフィンをやっていたら、このページが目に入って、
>ちょっと気になる点があったので、一言投稿させていただきたいと思います。
>
>>>
>>>Peering closely, I could see what made this so-called light-guide cable so radically different from its predecessors.
>>>
(中略)
>
> さて、そこで私の質問なのですが、この could は、(前後関係がないこともあってよくわからないのですが)
>「(実際に)できた」という意味でしょうか、それとも、「(やろうと思えば)出来ただろう(が、実際にはしなかっ
>た)。」という意味(仮定法)になるのでしょうか?
> 文法的には後者(従って、「もっと緻密に観察していれば、根本的に異なる理由が解ったことだろう」)が一般的だ
>と思うのですが・・・
>
> お分かりの方は、ぜひご返事お待ちしています。よろしく。
>
> 

僕はこの文章を、筆者が光ケーブルの断面を実際に見た体験を伝える文章
と捉えました。
したがって、この文中のcouldに関しては、「(実際)にできた(した)」と
いう意味にとりました。

いろいろな文法書を見てみましたが、確かに、複数の本に
(a)過去において、ある行為を行う能力があったことだけを表す場合は、
could と was/were able to の両方が使えるものの、
(b)過去において、ある行為を行う能力があり、かつ具体的な状況で
特定の行為を実際に行ったことを表す場合は、couldは使えない、
という趣旨のことが書いてあります。
たとえば、"Oxford Practice Grammar"(Oxford University Press)には、
"To say that the ability or opportunity resulted in a particular
action, we use "was/were able to" but not "could"."という説明があり、
couldが使えない例として、
"Luckily I had my camera with me, so I was able to take some photos."や
"The pool was open today, so the children were able to have a swim."
などが挙げられています。

しかし、知覚動詞や思考を表す動詞などは例外の様で、実際に見たり、
聞いたり、理解したりした場合もcouldが使えるようです。
前述書には、
"We normally use could (not was/were able to) with verbs of seeing,
hearing, etc. and verbs of thinking."という説明があり、
例として、
"As soon as Harriet opened the door, she could smell gas."など
が挙げられています。

ところで、
marqueeさんは、couldの一般的な意味として、
「(やろうと思えば)出来ただろう(が、実際にはしなかった)。」
という意味を想定されているようです。
たしかに、... could ... , but didn't .... とつながる場合はそうなる
かもしれませんが、僕が文法書を読んだところでは、
couldだけが使われる場合は、単に「過去における能力・可能」を意味する
ことが多いようです。
たとえば、"He could write programs when he was 10."といえば、
(具体的な状況において特定のプログラムを作ったことは意味しないものの)
プログラムを作る能力があり、実際に作っていたことを意味すると思います。


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Re:和訳の勉強中に関する私見marquee 20010/28-17:08
 記事番号198へのコメント

よーし様へ
   さっそく懇切丁寧なお返事をいただき、どうもありがとうこざいます。
  発信時間を見ると、夜中のようですので相当しらべていただいたのでは
  ないかと思い、恐縮しています。
   そのお返事を元に、今まで気になっていたいくつかの具体例を頭の中
  で反芻してみると、おかげさまで長年の疑問が徐々に氷塊していくような
  気がします。 本当にありがとうございました。
    今後とも宜しくお願いします。


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Re:和訳の勉強中に関する私見よーし 20110/28-20:46
 記事番号200へのコメント


ご丁寧にどうもありがとうございます。
調べた甲斐がありました。嬉しいです。