>自分の人生は自分が努力すればどのようにでも開けると思っていまし
た。「なりたい自分」には必ずなれると思っていました。(中略)
「生かされている部分」っていうのも、大きいんじゃないかって。
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わかるような気がします。本当は「よ〜くわかります」って言いたい
ところなんですが、そう言ってしまうと、「何を言うか。私の体験は
私特有のものであって、あなたのものとはまるで違うはずだ。だか
ら、よくわかるなんて言うな」というふうな反応が返ってくるかもし
れないので、「わかるような気がします」というコメントで抑えてい
ます。
ほんと、人それぞれであって、他の人のことっていうのは、たとえ数
十年にわたって一緒に生きてきた相手のことさえ、果たして「よくわ
かる」なんてことが言えるのか、と叫びたくなります。だから私は、
決しておぺらさんのことを「よ〜くわかる」なんてことはないのだろ
うと思
います。
ある程度に人生体験とか年齢を重ねた上で物を言うと、20歳くらい若
い人はよく「なぜ自分の人生を自分で切り開こうとしないのか」とか
何とか言われます。若いときにはやはり、多かれ少なかれ、自分の人
生は自分でどのようにでも切り開けるような気がしてしまうのです
ね。
私は今、おぺらさんの言うように「生かされている」自分を深く感じ
ています。そして、生かされているからこそ、ありがたいとも言えま
すし、他の弱い人とか失敗した人を見る時に、
「この人たちも精一杯に自分の人生を切り開こうとしたけど、こうな
ったのだ。そしてその人たちよりも僕の方が成功したように見える部
分があったとしても、それは僕の手柄じゃなくて、あくまでもっと大
きなエネルギーみたいなものに突き動かされてうまく行っただけのこ
となんだ。そしておそらくは、あらゆる人は自分の持てるものを100%
生かしきったのだという意味で、まったく平等なのだ」
というふうに感じ、すべての人が愛おしくなります。今の私は、次の
ように感じています。
僕みたいな人間をよくも今まで客先や親兄弟や友人や社会が支えてく
れたもんだ。ありがたい。
そういうありがたい思いを謳歌しながら、第二の青春を楽しんでいま
す。最後になりましたが、「爽快感」なんていう言葉を使ってしまっ
て、ちょっとお恥ずかしいです。不適当でしたね。どうも言葉の感覚
が鈍くて、ついつい変な言葉を口走ってしまいます。
僕はもともと芸術というものを深く尊重していたつもりでしたが、50
歳になった2年前あたりに、生まれて初めてと言っていいくらいに、芸
術や、この世の美しいものを深く感じることができるようになりまし
た。その主な理由は、やはり生きていることのありがたさと美しさを
深く感じられるようになり、生きていることを生まれて初めて楽しめ
るようになったからだと思います。
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