南都隆幸さん
>僕は、舞台とか衣装とか音楽とかライティングとか舞台装置とかを極
>限まで単純化したものが好きなのです。そして、さらには3分以内にま
>とめたものが、僕にとっては理想。だから、コンテンポラリーダンス
>に興味を持っています。でも、それがうまくいったときには素晴らし
>いけど、うまくいかなかったら、まるで面白みのない退屈なものにな
>りさがってしまいます。
1970年前後では状況や風景というのが一種のキーワードで、1980年代の半ばごろから
「物語」論が流行ですね。大きい物語であれ小さな物語であれ、人は物語のないものにな
かなか耐えられないんですね。自民党の総裁選でもマスコミ各社は麻生物語や小池物語を
熱心に提供していて、聴視者はそれがうさん臭いと知りつつああだこうだと言っていま
す。
状況、風景、物語と言葉は違っていますがつまりは「制度」だと思います。
我々を庇護すると当時に変化への芽を摘み取ることで自分を守るのが制度だとするならば
わたしが芸術に惹かれるのは、芸術がこの制度を撃つもの、制度に揺さぶりをかけるも
の、あるいは制度の機能を明らかにするものだからです。
古典作品とは制度の機能ぶりを明らかにするものでしょうし、コンテンポラリーの作品は
制度が課す様々な装置を最小限にする事で、制度を逆照射するところに面白みが有るわけ
です。コンポラの形式だけまねをしても、夫々の装置の役割に関する理解が浅ければつま
らない作品になってしまうのではないでしょうか。
意識的に単純化する(ミロやクレーの絵)ことと単純である事(子供の絵)との差は大き
いです。
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