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◇┳文章の書き方について-投稿者:かふぇ(7/6-08:58)No.2631
 ┗┳日本語における翻訳語の難しさ-投稿者:タラ(7/6-11:00)No.2633
  ┣━日本語における翻訳語〔補足-投稿者:タラ(7/6-11:15)No.2634
  ┗┳同感です-投稿者:kyotag(7/6-13:35)No.2635
   ┗┳さらにコメント-投稿者:タラ(7/6-15:55)No.2637
    ┣┳Re:さらにコメント-投稿者:かふぇ(7/6-19:28)No.2639
    ┃┗━柳父章(やなぶ・あきら)-投稿者:ワカメ(7/6-22:31)No.2640
    ┗┳コンテクスト指向性-投稿者:kyotag(7/7-11:09)No.2643
     ┗━Re:コンテクスト指向性-投稿者:タラ(7/7-20:21)No.2645


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文章の書き方についてかふぇ 26317/6-08:58

つい先ほど、日本語文章の作文上達のためにいろいろ参考になる本を紹介し
て頂いた者です。もう1つ疑問に思っていたことに関して、皆様のご意見を
お聞きしたいと思います。

他の人が翻訳された作品を勉強のために読んだりしているのですが、哲学と
か、言語学などの本を読むと、必要以上に難しく訳してあるような感じを受
ける時がしばしばあります。テーマが難しいということはもちろんですが、
原書は難しいテーマでありながら一般人でも興味をそそられる、解りやすい
書き方をしている場合も多いので、ちょっと不思議に思いました。翻訳を依
頼する人たちの嗜好に合わせているのでしょうか?

私の印象が間違っていたらごめんなさい。

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日本語における翻訳語の難しさタラ 26337/6-11:00
 記事番号2631へのコメント

かふぇさんの言葉
哲学とか、言語学などの本を読むと、
必要以上に難しく訳してあるような感じを受ける時がしばしばあります。
・・・原書は難しいテーマでありながら一般人でも興味をそそられる、
解りやすい書き方をしている場合も多いので、ちょっと不思議に思いました。
翻訳を依頼する人たちの嗜好に合わせているのでしょうか?
========
<< タラ >>
面白い指摘をして下さいました。
まったく同感です。
この問題は、それについて語るだけで何冊もの本が出来上がってしまいます。
この問題は、西洋語を日本語に翻訳してきた歴史的経過と、
翻訳語の難しさに関わっています。
この問題だけを追及することに一生を賭けている人さえいます。
柳父章(やなぶ・あきら)という人です。
インターネットのGoogleという検索エンジンを使って
「柳父章」(やなぶ・あきら)を検索してみてください。
彼の書いたたくさんの本が紹介されています。
彼の書いた本のうち一冊を英訳したものも、
インターネット上で本文全体が紹介されています。

私の手元には今、岩波新書(189番)、
柳父章著「翻訳語成立事情」(210ページ)があります。

彼の議論を踏まえた上での、私自身の見解をご紹介します。
明治以来、このほんの100年間ほどのあいだに、日本人は
たくさんの西洋語を日本語に翻訳してきました。
現代日本人が学問において読んだり聞いたりする言葉のうち、
おそらく90%以上は西洋語から翻訳された言葉ではないかと
思います。
そしてそれらの翻訳語のうち、大半はこの数十年あるいは数年のあいだに
翻訳されたばかりの言葉ではないかと思います。
私たちがおよそ専門的な話、少しでも抽象的な議論を
日本語でしようとすれば、
この、たかだか数十年から百年の歴史しか持たない語彙(ごい)を
使って語らなくてはなりません。
〔その逆に、西洋語における学問用語は、
少なくとも数百年、ひょっとしたら数千年の歴史を経てきた単語ばかりです。)
長い歴史を経てきた単語は、
初めは一部の知識人だけが使っていたかもしれませんが、
だんだんと一般の人の生活にまで染(し)み込んでいきます。
その反面、日本語におけるたくさんの翻訳語の場合、
数年・数十年あるいは百年の歴史しか持っていないため、
まだ一部の知識人のあいだで使われているに過ぎない単語がほとんどなのです。

したがって、学問的な話はすべて堅い漢語やカタカナ語で行うことになります。
そしてそれらおびただしい数の翻訳語〔漢語)に引きずられて、
本来はやさしい言葉で表現できることさえ、
難しく表現した方がよい、という錯覚を翻訳者たちや学者たちが
持ってしまうという傾向も生まれます。
特に学者の場合、彼らは自分たちの学問的素養の浅さや思慮の足りなさを
暴露されるのがいやなので、わざと難しく本を書く、あるいは訳すという
傾向が強いと思います。
よほど自分に深い自信のある、本当の意味で学問の素養のある人でない限り、
平易な言葉でいろんなことを語ることは、怖くてできないのでしょう。

さて、この問題はあまりに深いので、わずかな時間では私も
語れません。
今日のところはこれまでにします。
もし機会があれば、この続きをお話しすることもあるでしょう。

できれば、すでにご紹介した「柳父章」(やなぶ・あきら)を
インターネットで検索し、
彼の著書の英訳をお読みになってはいかがでしょうか?
海外におられるそうなので、
日本語の書籍は手に入りにくいでしょうから、
せめてその英訳だけでもお読みになっては?

ここで失礼します。さようなら


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日本語における翻訳語〔補足タラ 26347/6-11:15
 記事番号2633へのコメント

すみません。
柳父章(やなぶ・あきら)著の「翻訳語成立事情」〔岩波新書)の
英訳を掲載したホームページのURLを下記に紹介します。

http://www.japanlink.co.jp/ol/index.html

これ以外にも、彼の考え方を紹介したページはインターネット上で
おびただしく用意されています。
ぜひ、ごらんください。

以上です。


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同感ですkyotag 26357/6-13:35
 記事番号2633へのコメント

>よほど自分に深い自信のある、本当の意味で学問の素養のある人でない限り、
>平易な言葉でいろんなことを語ることは、怖くてできないのでしょう。

タラさん、おもしろいご指摘有り難うございます。
最近、教会の聖書教室で、日本語に翻訳された聖書の問題点についてアメリカ人、中国
人の人たちと話していました。皆聖書については深い理解のある人たちなのですが、特
に中国人の人と盛り上がった点が、「翻訳された聖書には、誤訳と必要以上に難しい訳
が多い」ということでした。彼らも、私も、現在は英語で聖書を読んでおり、その簡潔
さに、聖書に対する理解が俄然深まった経験があります。特に、日本語の敬語の言い回
しは、聖書を読む際などに、日本の文化のベースである封建制を喚起させ、神、イエ
ス、精霊に対する「畏れ多さ」すなわち「距離」を必要以上にを増長させる弊害がある
のでは、と思われました。

その英語の聖書でさえも、もとはギリシャ語からの翻訳なので、研究がすすむにつれて
誤訳がたくさん指摘されておりますが、読みやすさの面では私の知っている日本語版と
比較になりません。たぶん、英語の文法的にはっきりした構造(例の5文型にあてはめれ
ば理解できる)と日本語のコンテクスト指向性からくる差かもしれません。

以上蛇足かもしれませんが、日英の文化的背景と、言語的背景の違いを身近に感じる例
でした。大野 晋さんの著書を紹介しておられましたが、私も興味深く読みました。「日
本語の年輪」だったと思います。柳父 章さんの研究も面白そうですね。インターネット
で調べてみます。

かふぇさん、私の大学時代の帰国子女の友達で、日本語にかなり苦労しながらも努力し
て現在CNNの同時通訳をしている女性がいます。私は日英ともにちゃらんぽらんですが、
この機会にしっかり勉強しようと思っています。一緒にがんばりましょう!

kyotag


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さらにコメントタラ 26377/6-15:55
 記事番号2635へのコメント

kyotagさんの言葉
「特に、日本語の敬語の言い回しは、聖書を読む際などに、
日本の文化のベースである封建制を喚起させ、
神、イエス、精霊に対する「畏れ多さ」すなわち「距離」を
必要以上にを増長させる弊害があるのでは、と思われました。」

上記のお言葉を読みました。
まったく同感です。

「英語の文法的にはっきりした構造
(例の5文型にあてはめれば理解できる)と
日本語のコンテクスト指向性からくる差かもしれません。」

すみませんが、上記のコメントは、よく理解できません。
どういう意味なんでしょうか?
面白そうなご指摘なので、ぜひその意味を
お聞かせ願いたいのですが・・・。

以上です。



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Re:さらにコメントかふぇ 26397/6-19:28
 記事番号2637へのコメント

タラさんは No.2637「さらにコメント」で書きました。
>kyotagさんの言葉
>「特に、日本語の敬語の言い回しは、聖書を読む際などに、
>日本の文化のベースである封建制を喚起させ、
>神、イエス、精霊に対する「畏れ多さ」すなわち「距離」を
>必要以上にを増長させる弊害があるのでは、と思われました。」
>
>上記のお言葉を読みました。
>まったく同感です。
>
>「英語の文法的にはっきりした構造
>(例の5文型にあてはめれば理解できる)と
>日本語のコンテクスト指向性からくる差かもしれません。」
>
>すみませんが、上記のコメントは、よく理解できません。
>どういう意味なんでしょうか?
>面白そうなご指摘なので、ぜひその意味を
>お聞かせ願いたいのですが・・・。
>
>以上です。
>
>
>

タラさん、

面白い論文を紹介していただいて有難う御座います。柳父章さんの下のサイ
トも見付けました。翻訳も文化活動のひとつと考えれば、「秘の構造」の一
部に入るのかもしれません。
”よく分からない(そして)有り難い、が、よく分からない(だから)有り
難い”の心理が翻訳界にもあるのでしょうか。

高3の時に留学して6−7ヶ月後、何かのきっかけでマルクスを読まなけれ
ばならなくなり、あわてて和訳を送ってもらったら、私の英語のレベルが低
かったのにかかわらず、英訳の本の方が、ずっと読みやすく理解しやすかっ
たことを今でも覚えています。

また、kyotag さんの Context-embedded に関して、もうずっと前です
が、 George Fields という人が、
From Bonsai to Levis :When West meets East に面白おかしく書きまし
た。
お二人の論議、読ませてくださいね。

■ 日本文化を考える: 「秘」の構造





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柳父章(やなぶ・あきら)ワカメ 26407/6-22:31
 記事番号2639へのコメント

面白い議論なので、私も参加させていただきます。
実は私も柳父章(やなぶ・あきら)さんの本を3冊ほど読んだことがあり、
興味を持っています。他人に解説できるほど十分には理解していませんが、
あまりにも面白い議論を彼は展開していますので、彼の文章をいくらか
引用させていただきます。

岩波新書の「翻訳語成立事情」から
(下記の番号や見出しは、日本語原文にあるものです)

まえがき
「日本の学問・思想の基本用語が、私たちの日常語と
切り離されているというのは、不幸なことであった。
しかし、それには漢字受容以来の、根の深い歴史の背景がある。
他面から見れば、翻訳語が日常語と切り離されているおかげで、
近代以後、西欧文明の学問・思想などを、とにもかくにも
急速に受け入れることができたのである。・・・

本書で取り上げた初めの六つ、「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」
「存在」は、幕末から明治時代にかけて、翻訳のために造られた新造語で
ある。あるいは実質的に新造語に等しいことばである。あとの四つ
「自然」「権利」(ただし「権」として)「自由」「彼」(「彼女」は
新造語)は、日本語としての歴史を持ち、日常語の中にも生きてきたことばで、
同時に翻訳語として新しい意味を与えられたことばである。」

======
1. 社会
一。societyにあたる日本語はなかった

・・・society(広い意味での人間関係)に相当することばが
日本語になかったからなのである。・・・
societyに対応するような現実が日本になかった・・・
・・・広い意味での人間関係という現実そのものがなかった。したがって、
それを語ることばがなかった・・・

今日、私たちがsocietyを「社会」と訳すときは、その意味について
あまり考えないでも、いわばことばの意味をこの翻訳語に委(ゆだ)ね、
訳者は、意味についての責任を免除されたように使ってしまうことができる。
・・・societyに相当する伝来の日本語がたとえなくても、「社会」という
翻訳語がいったん生まれると、societyと機械的に置き換えることが可能な
ことばとして、使用者はその意味について責任免除されて使うことができる
ようになる。

・・・「社会」はいい意味、「世間」は悪い意味である。・・・
「世間」ということばは、「社会」と違って、日本語としてすでに千年以上の
歴史を持っている。語感の豊かな、私たちの日常語である。その意味について
考えてみると、societyとかなり共通している。・・・
しかし、この「世間」を、societyの訳語として用いた例は、意外に稀(まれ)
である。そして、「社会」という翻訳語がいったん定着すると、
これと対比的に、「世間」は、翻訳的な文章からほとんどしりぞけられていく。
このことから、逆に、私たちの翻訳語「社会」の持つ重要な特徴を、
以上述べてきたようにとらえることができるのである。つまり、それは
肯定的な価値をもっており、かつ意味内容は抽象的である、と。

七。意味が乏しいから乱用される翻訳語

・・・意味内容が抽象的であるということは、意味が知識として入ってきて、
具体的な用例が乏しいので、言葉の意味が乏しく、分りにくい、
ということである。
そして翻訳語は、こうして意味が乏しいにもかかわらず、漠然と肯定的な、
いい意味をもつとされるために、ある時期、盛んに乱用され、流行語となる。
・・・
そして、ことばは、いったんつくり出されると、意味の乏しいことばとしては
扱われない。意味は、当然そこにあるはずであるかのごとく扱われる。
使っている当人はよく分らなくても、ことばじたいが深遠な意味を
本来持っているかのごとくみなされる。分らないから、かえって乱用される。
文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が
欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである。
<<記事が長すぎる、というエラーメッセージが出たので、ここで終わります>>


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コンテクスト指向性kyotag 26437/7-11:09
 記事番号2637へのコメント

おもしろい議論になってますね!
ところで、ご質問の

>「英語の文法的にはっきりした構造
>(例の5文型にあてはめれば理解できる)と
>日本語のコンテクスト指向性からくる差かもしれません。」

についてですが、英語については、S+V、S+V+Cなど、基本的には5
文型しか存在しないので、単語や熟語の意味が分かれば、ある程度のの意味
はつかめますし、前置詞や冠詞等を駆使して、誤解のほとんどありえない文
章をつくることができるわけですが、日本語は英語に比べて文法がかなり柔
軟でコンテクストにしたがって意味を解釈していく言語のため、翻訳の際に
本当に筆者が伝えたい意味をあらわすには、かなりの解釈力が必要になると
いう意味で書きました。

たとえば、英語で I love you.といえば、話し手が相手に対して発している
以外の解釈はできませんが、日本語では、ふつう「私」は略されますし、
「あなた」さえ略することもおおいですよね、単に「愛している」これは、
前後のコンテクストがないと、誰が誰を愛しているのかさえ100%はわか
らないわけで、「コンテクスト指向」といわれる所以です。

蛇足ですが、聖書の誤訳が及ぼした芸術的誤りについてご紹介します。ミケ
ランジェロの「モーゼ」(彫刻)をご覧になった方、モーゼの額から角がでて
いるのをみて疑問に思われたかもしれません。これは、ギリシャ語からの誤
訳によるものだそうです。(モーゼに角は生えていませんでした。)もちろ
ん、彼の読んだ聖書はイタリア語でしょうが、英語の聖書にも同じ誤りが最
近まであったそうです。

以上長くなりました。翻訳の世界は奥が深いのですね。

kyotag


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Re:コンテクスト指向性タラ 26457/7-20:21
 記事番号2643へのコメント

kyotagさん、
コンテクスト志向性についてのご説明ありがとうございました。
日本語における翻訳語について、もっといろんな話がしたいとは
思いますが、今は疲れているので、今日のところはこれで失礼。