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◇┳理系・文系-投稿者:折口学(5/17-12:27)No.355
 ┣━Re:理系・文系-投稿者:ぞう(5/17-16:05)No.356
 ┣┳Re:理系・文系-投稿者:文系人間(5/17-18:31)No.357
 ┃┗┳Re:理系・文系-投稿者:折口学(5/19-12:43)No.359
 ┃ ┗┳Re:理系・文系-投稿者:文系人間(5/19-16:30)No.360
 ┃  ┗┳Re:理系・文系-投稿者:折口学(5/21-12:35)No.365
 ┃   ┗┳Re:理系・文系-投稿者:文系人間(5/21-16:47)No.367
 ┃    ┣┳Re:理系・文系-投稿者:さんだ(5/24-11:46)No.374
 ┃    ┃┗━Re:理系・文系-投稿者:文系人間(5/24-13:08)No.375
 ┃    ┗┳Re:理系・文系-投稿者:折口学(5/27-12:27)No.378
 ┃     ┗━Re:理系・文系-投稿者:文系人間(5/28-09:25)No.380
 ┗━Re:理系・文系-投稿者:酒匂 邦弘(5/18-19:18)No.358


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理系・文系折口学 3555/17-12:27

折口学です。
管理者の方から許可を頂きましたので、早速、「理系人間vs文系人間」
のお話を始めたいと思います。

まず、「理系」「文系」という区別は何なのか、ですが、極論すれば、
「日本の高校が、大学入試に合わせて授業をしやすいように、生徒の
カリキュラムを分類した制度」にすぎないと思います。大学に入って
専門の勉強を始めてしまえば、理系・文系という区別は無意味であり、
何が専門か、だけが問題となります。近代経済学を勉強すれば、微分
積分の理解が必要でしょうし、工学部で日本語の自然言語処理を研究
するには国文法の知識が不可欠です。

次に、「文系の人間はACとDCの区別も知らない」というお話が
ありましたが、これは文系・理系以前の問題でしょう。「私は理系
だから中国の首都は知りません」と言っても通らないのと同じです。
日常の基本的な知識は理系・文系関係なく持っているべきだと思い
ます。

3番目に、「理系」「文系」という語を使う場面の一つに、自分の学生
時代の専門と現在の仕事の専門性の齟齬に言及する場合があると
思います。しかしその場合も、「理系」「文系」という語ではなく、
「・・・が専門だから」といった方が、明確になるはずです。

最後に、あたかも理系・文系という単なる知識の差が、性格の差でも
あるかのように言われることがありますが、これは絶えられません。
もちろん、専門領域と性格の間の統計を取れば、何らかの相関関係が
見られるであろうことは否定しませんが、そういったマクロな視点を
そのまま個人にあてはめてしまうと、「差別」的発言になってしまう
こともわきまえておくべきかと思います。

以上、「理系人間」「文系人間」について思うところを述べてみました。
皆さんはどうお考えでしょうか。


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Re:理系・文系ぞう 3565/17-16:05
 記事番号355へのコメント

はじめまして。ぞうと申します。私の考えは以下の通りです。

理系、文系という言葉は、大学に合格するまでの
単なる区別だと思います。高校で理系クラスにい
た人間でも、文系の学部に入学すれば、それで文
系ということになりますので。

社会人になると、「私は文系の大学卒だから、理系
のことはわかりません。」といっても通用しないと
思います。営業を例にとると、自社の製品について、
専門的な知識(メーカーなら工学、薬品なら薬学)
が無いと製品は売れないと思います。

技術者にしても、製品を設計する場合、コストダウン
を常に意識していないと生き残っていけないので、
「私は理系の大学卒だから、簿記に関することはわか
りません。」というのは通用しないでしょう。

理系人間、文系人間という本論からは外れますが、
私個人の意見としては、「数字に弱い人間と、強い
人間はいる。」と思います。たとえば経理だと、これ
は適性が無いとやっていけない職種だと思います。
営業系の職種から経理に異動して、胃潰瘍になったり、
退職した人を知ってますので。


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Re:理系・文系文系人間 3575/17-18:31
 記事番号355へのコメント

折口様、こんにちは。「文系人間」です。折口様のおっしゃる「日常の基本的な知識」
と、「差別的発言」についての私の意見を述べさせていただきます。

折口学さんは No.355「理系・文系」で書きました。
>次に、「文系の人間はACとDCの区別も知らない」というお話が
>ありましたが、これは文系・理系以前の問題でしょう。「私は理系
>だから中国の首都は知りません」と言っても通らないのと同じです。
>日常の基本的な知識は理系・文系関係なく持っているべきだと思い
>ます。

何が「日常の基本的な知識」であると考えるかは、個人によって異なると私は思いま
す。私のまわりには、「ACとDCの区別も知らない」人間が多く存在しています。
(その中には、技術文書の翻訳を行って生活している人もいます。)
ACとDCの違いが「日常の基本的な知識」であると彼らが考えているようには思えま
せん。もし彼らがそう考えているのであれば、とっくにその知識を身につけようと努力
したはずです。
家庭や職場で日常電気を使用していても、電気について特に考える必要のない人間に
とっては、ACとDCの違いは「日常の基本的な知識」ではないと思います。

別の例をあげさせていただきます。
英文学を専攻した者の多くは、「ブロンテ姉妹」と言われれば誰のことなのかすぐに分
かります。特に、英文学を教えるような立場にある方々にとっては、「ブロンテ姉妹が
誰のことか」ということは、まさに「日常の基本的な知識」、「常識」です。
しかし、電気・電子、機械などを専攻し、英文学に興味を持ったことのない方々に、
「ブロンテ姉妹が誰のことかなどは、日常の基本的な知識だ。そのような知識は、専攻
に関わらず持っているべきだ。」とはたして言えるのでしょうか。

>3番目に、「理系」「文系」という語を使う場面の一つに、自分の学生
>時代の専門と現在の仕事の専門性の齟齬に言及する場合があると
>思います。しかしその場合も、「理系」「文系」という語ではなく、
>「・・・が専門だから」といった方が、明確になるはずです。

高校では普通科(文系)に在籍し、大学では英文学を専攻して、その後技術職につくこ
ともなく翻訳に携わってきた人間は多いと思います。(翻訳者のバックグラウンドなど
のアンケート結果を見るとそう思われます。)私もその1人です。このようなケース
は、「文系」の一言で十分だと思います。もし反対意見をお持ちの方がいらっしゃいま
したらお知らせください。

もちろん、様々な要素を含む勉強をなさった方々や、卒業後、専攻とは異なる分野で活
躍なさっている方々は、「・・・が専門だから」といったほうがいいでしょう。

>最後に、あたかも理系・文系という単なる知識の差が、性格の差でも
>あるかのように言われることがありますが、これは絶えられません。
>もちろん、専門領域と性格の間の統計を取れば、何らかの相関関係が
>見られるであろうことは否定しませんが、そういったマクロな視点を
>そのまま個人にあてはめてしまうと、「差別」的発言になってしまう
>こともわきまえておくべきかと思います。

「理系人間」と「文系人間」に、性格の差があるとは私は思っておりませんし、そのよ
うな考えが頭の中をよぎったことは一度もありません。
折口様は、「文系人間」と名乗るだけで、「差別」的発言につながるとお考えになって
いるのでしょうか。この点に、私は*****非常に*****興味を持っています。

ただ、性格の差はなくとも、ぞう様のおっしゃるとおり、「数字に弱い人間と、強い人
間はいる。」と思います。上記のとおり、私は高校でも大学でもいわゆる「文系」を専
攻し、技術職についたことはありません。私の知り合いにもそのような者が多いので
す。私たちに共通する点は、数字や数式が苦手という点です。それ故、多くの数式が記
載されている電気・電子の本からを避けてしまいます。
翻訳を行うにあたって、電気・電子の知識が不可欠であるため、この分野の本を読んで
勉強していますが、苦痛に感じることが時々あります。
英文学に興味のない人間が、英文学を分析した本を読むと、やはり苦痛を感じるのでは
ないでしょうか。

「理系人間」と「文系人間」の差というのは、楽しみながら(苦痛を感じることなく)
探求する情報の分野が異なるため、これまで蓄積してきた知識もまったく異なるという
点だと私は考えております。

以上の点に対して、折口様はどのようにお考えになっているでしょうか。


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Re:理系・文系折口学 3595/19-12:43
 記事番号357へのコメント


>何が「日常の基本的な知識」であると考えるかは、個人によって異なると私は思いま
>す。私のまわりには、「ACとDCの区別も知らない」人間が多く存在しています。
 (中略)
>「ブロンテ姉妹が誰のことかなどは、日常の基本的な知識だ。そのような知識は、専攻
>に関わらず持っているべきだ。」とはたして言えるのでしょうか。

確かに「日常の基本的な知識」の定義は難しいことかもしれません。それを敢えて
大雑把にやってみるならば、中学3年生ぐらいまでに習うことと考えてはどうで
しょうか。直流・交流の区別はそのくらいまでに習ったと思いますが、「ブロンテ
姉妹」はもちろん教わりません。そうすると、この二つは知識としての専門性の
レベルがかなり異なると考えられます。

>高校では普通科(文系)に在籍し、大学では英文学を専攻して、その後技術職につくこ
>ともなく翻訳に携わってきた人間は多いと思います。(翻訳者のバックグラウンドなど
>のアンケート結果を見るとそう思われます。)私もその1人です。このようなケース
>は、「文系」の一言で十分だと思います。もし反対意見をお持ちの方がいらっしゃいま
>したらお知らせください。

この点については酒匂さんがNo.358でおっしゃっておられるように、「文系」
という枠の中に押し込めてしまうメリットはないのではないでしょうか。
また、言語情報という観点から考えた時、情報を特定できる(英文科出身である)
状況でありながら、そうしない(文系という語を使う)ことは、グライスの
協調の原理にも反することのように思えます。

>「理系人間」と「文系人間」に、性格の差があるとは私は思っておりませんし、そのよ
>うな考えが頭の中をよぎったことは一度もありません。
>折口様は、「文系人間」と名乗るだけで、「差別」的発言につながるとお考えになって
>いるのでしょうか。この点に、私は*****非常に*****興味を持っています。

私も性格に差があるとは思いません。しかし、そう考える人がいることも事実
のように思えます。どういった場面で誰が発言したか今となっては覚えていませんが、
「文系人間」はいい加減だけれど暖かみがあり、「理系人間」は冷徹、という
ような類の発言です。文系人間さんが、そういう発言に遭遇したことがないと
いうことならば、それはそれで理解ある方達に囲まれているのだと思われます。

>ただ、性格の差はなくとも、ぞう様のおっしゃるとおり、「数字に弱い人間と、強い人
>間はいる。」と思います。上記のとおり、私は高校でも大学でもいわゆる「文系」を専
>攻し、技術職についたことはありません。私の知り合いにもそのような者が多いので
>す。私たちに共通する点は、数字や数式が苦手という点です。それ故、多くの数式が記
>載されている電気・電子の本からを避けてしまいます。
>翻訳を行うにあたって、電気・電子の知識が不可欠であるため、この分野の本を読んで
>勉強していますが、苦痛に感じることが時々あります。
>英文学に興味のない人間が、英文学を分析した本を読むと、やはり苦痛を感じるのでは
>ないでしょうか。

この点についてはおっしゃる通りだと思います。ただ、そういった人々を
「理系人間」「文系人間」と分類することには、やはり抵抗を感じます。

>「理系人間」と「文系人間」の差というのは、楽しみながら(苦痛を感じることなく)
>探求する情報の分野が異なるため、これまで蓄積してきた知識もまったく異なるという
>点だと私は考えております。

知識の蓄積という意味では、いわゆる文系学部の中でも、近代経済学をやって
きた人と日本美術史をやってきた人とでは全く異なるのではないでしょうか。
それならば、情報工学科で自然言語処理をやってきた人と文学部で言語学を
やってきた人との知識の方が近いわけで、やはり「理系人間」「文系人間」の
区別には違和感を覚えてしまいます。


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Re:理系・文系文系人間 3605/19-16:30
 記事番号359へのコメント

折口様、こんにちは。「文系人間」です。

>確かに「日常の基本的な知識」の定義は難しいことかもしれません。(省略)中学3年生ぐらいまでに習うことと考えてはどうでしょうか。

「中学3年生ぐらいまでに習うこと」とお考えになる根拠には義務教育が関係しているのでしょうか?

明らかに中学校で教わるような非常に基本的な英文法を私に質問する社員が職場にいます。しかも、1人では
ありません。
彼らは、中学校または高校を卒業後、英語を使用する必要がなかったのではないかと私は思います。故に、そ
の英文法は彼らにとっては「日常の基本的な知識」ではないと私は考えます。
そして、私などは、中学校または高校を卒業後、「ACとDCの差」を考える必要が***まったく***なかったので
す。

「中学3年生ぐらいまでに習うこと」が「日常の基本的な知識」であるならば、中学校を卒業した人間全員
が、卒業後10年以上経過しても、中学校で教わったことすべてを記憶しているということになってしまいま
す。
もう一つお聞きしたいのは、「日常の基本的な」知識の意味です。
折口様は「ACとDCの差」を「日常の基本的な知識」とおっしゃいましたが、「ACとDCの差」を「日常生活」に
おいて知っている必要のある人間が現代にどれほどいるでしょうか。
例えば、主婦や受付をして働く人々全員が、「ACとDCの差」を「日常的に」意識しているのでしょうか。

誰にでも、日常生活において、知る必要のない事柄は多く存在します。それらの事柄の中には、中学校で教
わったことも数多くあると思います。
本人にとって、その事柄が「日常的に基本的な」知識なのでしょうか。
折口様がおっしゃる「日常の基本的な知識」の定義を知りたいと思います。

>「文系」という枠の中に押し込めてしまうメリットはないのではないでしょうか。
>また、言語情報という観点から考えた時、情報を特定できる(英文科出身である)
>状況でありながら、そうしない(文系という語を使う)ことは、グライスの
>協調の原理にも反することのように思えます。

私は、ハンドル名を決定する際に、メリット・デメリットがあるかどうかなどと考えたことはありません。
(もちろん、明らかに他人を非難するようなハンドル名は使用禁止です。)
また、自分の専攻(英文学)とは全く関係ない事柄に関してインターネットで質問する際に、英文科出身であ
るという情報を特定する必要があるのでしょうか。

>知識の蓄積という意味では、いわゆる文系学部の中でも、近代経済学をやって
>きた人と日本美術史をやってきた人とでは全く異なるのではないでしょうか。

もちろん、経済学を専攻した人は経済の知識を、美術史を専攻した人は美術の知識を蓄積していることでしょ
う。しかし、それらを専攻して卒業した直後、彼らの大多数が電気・電子に何の抵抗も苦労もなく馴染めるで
しょうか。趣味で電気・電子の本などを読んできたというのなら話は別でしょうが。

ちなみに、「私は文系だから電気のことなんか知らなくても構わないでしょう。」などとは全く考えておりま
せん。自分の専門分野の中でのみ安心している人間がリストラされるのは当然でしょう。(だからこそ、私は
電気・電子の本を読んで知識を身につけようと努力しているのです。)>酒匂様
私が「文系人間」と名乗る理由は、電気・電子・コンピュータなどを専攻としたり趣味としたり、それらの分
野で活躍している方々が「当然のように」身につけている知識を、私は持っていない場合がある、といいたい
からです。
なぜそのようなことをいいたいかと申しますと、「自分が常識として身につけている知識は、他人全員にとっ
ても常識である」という考えを持つ人間があまりにも多いためです。
このような自己中心的な考えには、私は強い抵抗を感じます。
一種類の人間のみがこの世の中に存在しているわけではありません。ある人間にとっての常識が、他人にとっ
ても常識であると考えるのは危険きわまりないと思います。
(「自分の考えが絶対正しく、常識的なものだ」と信じ切っている人間同士が衝突した結果、どのような事件
が起こっているかご存じだと思います。)

故に、「ACとDCの差」が折口様及び折口様の周りの方々にとっては「日常の基本的な知識」であっても、他の
人々にとってもそうであるとの考えには反対なのです。

日常生活で全く知る必要のない事柄について、「そんなことは20年前(または10年前、etc.)中学校で教わっ
たでしょう。身につけていて当然の知識だ」と決めつけられたら、どうお感じになりますか。


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Re:理系・文系折口学 3655/21-12:35
 記事番号360へのコメント


こんにちは、折口学です。

まず最初に、自らの過ちをお詫びしておきたいと思います。
「理系人間・文系人間」の議論を始める際、私は「文系人間」さんを個人的に批判するつもりは
ありませんでした。しかしながら、その分類に抵抗を感じると表明することは、とりもなおさず、
「文系人間」さんのハンドル名を批判することに繋がります。この点に注意を払わずに議論を
始めてしまったことはお詫び致します。ただ、「文系人間」という語に抵抗を感じたことも
もちろん事実であり、その点については後述します。

「日常の基本的な知識」については、その言い方がまずかったかなという気もします。
「社会人として持っている常識」とでも言い直したら良いでしょうか。

>「中学3年生ぐらいまでに習うこと」とお考えになる根拠には義務教育が関係しているのでしょうか?

そういう意味で、この御質問に対しての答えは、yesです。そしてその知識を日常生活で
使うかどうかは確かに疑問でしょう。中国の首都が上海だと誤解していても、英語の能動態を
受動態に書き換えることができなくとも、日常の生活はできます。それでも、常識として
その程度は知っておいた方が良いのではないかと思うのです。何故か、と問われたら、恐らく
「その方が人生を面白くするから」としか答えられないかもしれませんが。

>私は、ハンドル名を決定する際に、メリット・デメリットがあるかどうかなどと考えたことはありません。
>(もちろん、明らかに他人を非難するようなハンドル名は使用禁止です。)
>また、自分の専攻(英文学)とは全く関係ない事柄に関してインターネットで質問する際に、英文科出身であ
>るという情報を特定する必要があるのでしょうか。

「文系人間」さんのハンドル名についてのコメントは、上述したようにお詫び致します。
その上で、一般論として申し上げたいと思います。「文系人間」さんも述べておられるように
「明らかに他人を非難するようなハンドル名」、もう少し枠を広げて「それを読んだり聞いたり
した人が不愉快になるような語」というのは存在します。ただ、語によって、ほとんどの人が
不愉快になるようなものもあるし、ほんの一握りの人だけが不愉快になるものもあるし、
その中間的な語もあるでしょう。また、その不愉快になる程度も人により、語により異なり
ます。そして私にとって「文系人間」または「理系人間」という語が、若干の不愉快さを
起こすものだったために議論を始めてしまったのだと思います。また、不愉快さを感じる理由は
前回のメールで書いた差別的発言を経験したことによるのだろうと、自己分析しています。

>なぜそのようなことをいいたいかと申しますと、「自分が常識として身につけている知識は、他人全員にとっ
>ても常識である」という考えを持つ人間があまりにも多いためです。
>このような自己中心的な考えには、私は強い抵抗を感じます。
>一種類の人間のみがこの世の中に存在しているわけではありません。ある人間にとっての常識が、他人にとっ
>ても常識であると考えるのは危険きわまりないと思います。
>(「自分の考えが絶対正しく、常識的なものだ」と信じ切っている人間同士が衝突した結果、どのような事件
>が起こっているかご存じだと思います。)

この点についてはおっしゃる通りだと思います。ただ、常識として身に付けている知識の
レベルをどこにするかの問題でしょう。極論すれば、我々はとりあえず日本語の共通知識を
前提としているからコミュニケートできるわけです。

>日常生活で全く知る必要のない事柄について、「そんなことは20年前(または10年前、etc.)中学校で教わっ
>たでしょう。身につけていて当然の知識だ」と決めつけられたら、どうお感じになりますか。

私なら自分の勉強不足を恥じます。


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Re:理系・文系文系人間 3675/21-16:47
 記事番号365へのコメント

折口様、こんにちは。「文系人間」です。

>「理系人間・文系人間」の議論を始める際、私は「文系人間」さんを個人的に批判するつもりはありませんでした。しかしながら、その分類に抵抗を感じると表明することは、とりもなおさず、「文系人間」さんのハンドル名を批判することに繋がります。(略)私にとって「文系人間」または「理系人間」という語が、若干の不愉快さを起こすものだったために議論を始めてしまったのだと思います。

私が最も不愉快に感じたのは、
<<「差別」的発言になってしまうこともわきまえておくべきかと思います。>>
という折口様の発言です。
「わきまえる」というのは、誰かをいましめる際に使用する批判的な表現です。上記の折口様の発言は、私に「わきまえろ」といって
いると解釈したため、私を「個人的に批判」しているのだと判断しました。(私が毎回冒頭で「折口様、こんにちは。」と書いた理由
は、そこに関係しています。私の発言は他ならぬ折口様のみに対する個人的なものだといいたかったのです。)
私のハンドル名を見ただけで「文系人間と理系人間には性格に差がある」と連想した人がいたということにも大変驚きましたが、もっ
と驚き、不快に思ったのは、なぜ私がそのことで批判されなければならないのかということでした。
私自身が、少しでもそのような差があるとほのめかしたのなら批判されて当然ですが、私はそのようなことをほのめかしたつもりは全
くありません。(すでに申し上げた通り、そのような差があるなどと考えたこともありません。)「読んだり聞いたりして不愉快にな
るような語」はあるでしょうが、「文系人間」というハンドル名から「文系人間と理系人間には性格に差がある」と連想するのは、あ
まりにも短絡的すぎると私は感じます。

>中国の首都が上海だと誤解していても、(略)日常の生活はできます。それでも、常識としてその程度は知っておいた方が良いのではないかと思うのです。
>(中学校で教わったことを忘れていた場合)私なら自分の勉強不足を恥じます。

もちろん、何事も知らないよりは知っているほうが良いでしょう。しかし、すべての国の首都をすぐに言えますか?中学校の歴史の授
業で習った事柄(年号や、革命勃発の原因など)をすべて記憶していますか?中学校で教わったからという理由だけで、膨大な歴史の
すべてを「常識」といわれると、私は抵抗を感じます。
「中学で教わったことだけど、フランス革命の年月日とか、フランス革命以前の政治的・社会的制度の名前をすぐに答えられる?」と
知人に試しに聞きました。返事は「答えられない」でした。折口様は、こういった種類の質問にすぐに答えられますか?これらの知識
は、折口様にとって「常識」ですか?
(注:これは単なる質問ですので、誤解なさらぬように。)

>常識として身に付けている知識のレベルをどこにするかの問題でしょう。

その通りです。そして、「どこにするか」は個人によって異なると思います。
例えば、中国には電気もガスも使用できない地域が存在し、そこに住む人々は米国大統領の名前など知らないそうです。彼らにとって
の常識は、「クリントン」という名前ではなく、「電気・ガスがなくても快適に生活する術」です。もし私たちが、「クリントンも知
らないなんて非常識だ」と言えば、彼らは「電気・ガスがなければ快適に生活できないなんて非常識だ」と言うことでしょう。

「自分にとっての常識は他人全員にとっても常識だ」と考える驕った人が私の職場に1人います。彼は、技術の知識は豊富ですが、周
囲から好かれてもいなければ尊敬もされていません。彼には、嫌われているという自覚がないようです。彼を見ていると「この人は、
自分が驕っていることに気づかぬまま年をとっていくのだろうか。だとすればあわれな人間だ」と私は思います。


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Re:理系・文系さんだ 3745/24-11:46
 記事番号367へのコメント

文系人間さん、はじめまして。

AC(交流)とDC(直流)の違いを知っている/知らない・・ は、理系・文系の違いではなくて、
男性・女性の方が相関関係は高いように思います。(直感ですが)

男の子は子供のときからプラモデルやラジコンで遊びますし、オーディオや車に触れる機会も
多いと思います。例えば家庭の電源は100ボルトでなおかつ交流で、乾電池は直流だということは、
男性なら知っているんじゃないでしょうか? (それ以上のことはもちろん私も知りませんが)

例えば女性には家電製品の配線(テレビやビデオの配線)が不得意な人が多いと思います。
(それが良いとか悪いとか言っているわけではありません。単にそういうものに女性は興味がない傾向に
ある・・というだけでしょう。逆に男性は興味がある傾向にあると思います。)

たぶん、下記で文系人間さんのおっしゃっている『私の知っている「文系人間」のほとんど』というのは
たまたま女性で、『私の知っている「理系人間」全員にとっては』というのはたまたま男性じゃないでしょうか。


> 私の知っている限りでは、「文系人間」と「理系人間」の間には格段の差があります。
> 私は英→和翻訳ではなく、和→英翻訳に携わっています。私が今まで行った和→英翻訳は
> ハードウェアに関するものがほとんどであり、電気・電子の知識が不可欠です。
> 私の知っている「文系人間」のほとんどは、「ACとDCの違いさえ知らない」のです。
> そして、私の知っている「理系人間」全員にとっては、「ACとDCの違いなど常識」なのです。

文系人間さんの定義されている「常識」にはちょっと抵抗を感じます。
上記からは「理系の人にとって電気0電子の知識は常識」と読み取れてしまうからです。

電気0電子の知識があるのは、電気工学とか電子工学とかを勉強した、「理系の一部の人」
だと思います。

理系人間には、電気・電子を知っている・・・という断定はよくないと思いますよ。

私は理系ですが、電気も電子も知りませんし、それが普通だと思っています。
私には電気工学や電子工学の授業を受ける必要がなかったからです。

また、私は「文系人間と理系人間に格段の差がある」とは思っていません。
勉強した専門分野によって多少の差ができるだけであって、文系人間と理系人間に差があるわけ
ではないと思います。

たとえばコンピュータに関しても、勉強し始めて 1 年か 2 年で習得できると思いますし、理系だから
有利とか文系だから不利とかはないと思います。

確かに理系の一部の情報処理を勉強した人には最初は有利でしょうが、大学で勉強する程度のことは、
まじめに勉強すればあっというまに逆転できる程度のことですから、知識や技術の差を文系・理系で
区別するというのは本質的に無意味なことだと思います。


# ちなみに文系人間さんの文系・理系の定義は「文系の学校を出た」、「理系の学校を出た」という
# 定義ですよね。違っていたらごめんなさい。


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Re:理系・文系文系人間 3755/24-13:08
 記事番号374へのコメント

さんださん、はじめまして。

>AC(交流)とDC(直流)の違いを知っている/知らない・・ は、理系・文系の違いではなくて、
>男性・女性の方が相関関係は高いように思います。(直感ですが)
>たぶん、下記で文系人間さんのおっしゃっている『私の知っている「文系人間」のほとんど』というのはたまたま女性で、『私の知っている「理系人間」全員にとっては』というのはたまたま男性じゃないでしょうか。

その通りです。しかし、そのような発言をすると、「性差別だ」と反論する方もいると考えたので、私は控えていました。(女には電
気なんてわからないだろうという考えを助長すると言われ、新たな議論が始まるかもしれませんので)

>理系人間には、電気・電子を知っている・・・という断定はよくないと思いますよ。

さんださんは、別のページで「リアクタンスやインダクタンスは何のことやら・・・」という趣旨の発言をなさってましたものね。
(覚えていらっしゃいますか?)
もちろん、私は理系の方々全員が電気・電子を事細かに知っているとは考えておりません。私の隣にいるエンジニアも「リアクタン
ス」の定義を知らないと言っています。

しかし、争点となっている「ACとDCの差」は理系の方々の多くがご存じではないでしょうか。(別のページで「ACとDCの差は知ってい
る」とさんださんはおっしゃっていましたよね。)

>私は理系ですが、電気も電子も知りませんし、それが普通だと思っています。

折口様が、「ACとDCの差など常識でしょう」というような発言をなさったので、私は反論をしています。「ACとDCの差」を知らない多
くの人々の気持ちを無視した発言であると考えたからです。
さんださんが「電気も電子を知らないのを普通だと思っている」のと同様、多くの人間が「ACとDCの差」を知らないのは、「普通」だ
と思います。

>また、私は「文系人間と理系人間に格段の差がある」とは思っていません。
>勉強した専門分野によって多少の差ができるだけであって、文系人間と理系人間に差があるわけ
>ではないと思います。
>たとえばコンピュータに関しても、勉強し始めて 1 年か 2 年で習得できると思いますし、理系だから有利とか文系だから不利とかはないと思います。
>確かに理系の一部の情報処理を勉強した人には最初は有利でしょうが、大学で勉強する程度のことは、まじめに勉強すればあっというまに逆転できる程度のことです

「大学で勉強する程度のことはあっというまに逆転できる」さんださんは、非常に優秀な方だと思います。うらやましいです。私はま
じめに勉強していますが、四苦八苦しています。私のような人間にとって、勉強した専門分野によってできる差は「多少」などという
ものではありません。
私の周囲をみると、明らかに知識に差があります。私のすぐそばに(電気・電子を専攻した)2人のエンジニアがいますが、彼らは、
非常に基本的な英文法を私に質問してくるのです。
アメリカで英語を使用して、エンジニアとして活躍なさったさんださんのような方とはまったく異なるのです。

また、コンピュータの翻訳に従事する方々の中に、勉強し始めて1 年〜 2 年以上経過するにも関わらず、今でも苦労して勉強している
人もいます。若いころにコンピュータを勉強した人間と比較すれば、若いころにその分野の勉強をせずに年をとった人間は、苦労する
と思います。

また、技術翻訳者の募集広告を見ると、「電気・電子・機械・コンピュータを専攻した人」などという条件が頻繁に見受けられます。
これは、翻訳会社が「勉強した専門分野に得られる知識」を重要視している証拠ではないですか?

(ところで、これから、さんださん対私の論議になってしまうのでしょうか・・・)


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Re:理系・文系折口学 3785/27-12:27
 記事番号367へのコメント


文系人間さん、こんにちは。
折口学です。しばらく書き込みができず失礼しました。

>私が最も不愉快に感じたのは、
><<「差別」的発言になってしまうこともわきまえておくべきかと思います。>>
>という折口様の発言です。
>「わきまえる」というのは、誰かをいましめる際に使用する批判的な表現です。上記の折口様の発言は、私に「わきまえろ」といって
>いると解釈したため、私を「個人的に批判」しているのだと判断しました。(私が毎回冒頭で「折口様、こんにちは。」と書いた理由
>は、そこに関係しています。私の発言は他ならぬ折口様のみに対する個人的なものだといいたかったのです。)
>私のハンドル名を見ただけで「文系人間と理系人間には性格に差がある」と連想した人がいたということにも大変驚きましたが、もっ
>と驚き、不快に思ったのは、なぜ私がそのことで批判されなければならないのかということでした。
>私自身が、少しでもそのような差があるとほのめかしたのなら批判されて当然ですが、私はそのようなことをほのめかしたつもりは全
>くありません。(すでに申し上げた通り、そのような差があるなどと考えたこともありません。)「読んだり聞いたりして不愉快にな
>るような語」はあるでしょうが、「文系人間」というハンドル名から「文系人間と理系人間には性格に差がある」と連想するのは、あ
>まりにも短絡的すぎると私は感じます。

文系人間さんの心情、分かりました。申し訳ありません。ただ、文系人間・理系人間の区別に不快感を持つ
人間が存在することだけはご理解ください。
また、文系人間さんのコメントが常に私に向けられたものだったのとは逆に、私は多くの方に
意見を伺いたいという考えでした。

>「中学で教わったことだけど、フランス革命の年月日とか、フランス革命以前の政治的・社会的制度の名前をすぐに答えられる?」と
>知人に試しに聞きました。返事は「答えられない」でした。折口様は、こういった種類の質問にすぐに答えられますか?これらの知識
>は、折口様にとって「常識」ですか?
>(注:これは単なる質問ですので、誤解なさらぬように。)

「常識」という単語を使うべきか、確かに議論の中で自信はなくなってきていますが、少なくともだいたい
何年頃は知っておくべきだと、個人的には考えています。

>>常識として身に付けている知識のレベルをどこにするかの問題でしょう。
>
>その通りです。そして、「どこにするか」は個人によって異なると思います。
>例えば、中国には電気もガスも使用できない地域が存在し、そこに住む人々は米国大統領の名前など知らないそうです。彼らにとって
>の常識は、「クリントン」という名前ではなく、「電気・ガスがなくても快適に生活する術」です。もし私たちが、「クリントンも知
>らないなんて非常識だ」と言えば、彼らは「電気・ガスがなければ快適に生活できないなんて非常識だ」と言うことでしょう。

恐らくこういった話が出るかとも予想しましたが、私はあくまで日本で生まれ育った人間の話を
したいと考えていました。

いずれにしろ、理系人間・文系人間という話から逸れてきつつあるので、このあたりで
議論を打ち切りにしませんか。


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Re:理系・文系文系人間 3805/28-09:25
 記事番号378へのコメント

折口様、こんにちは。「文系人間」です。

>「常識」という単語を使うべきか、確かに議論の中で自信はなくなってきています

「常識」は、「身につけていて当然の知識」という意味であると思います。故に、「〜など常識でしょう」という発言は、「そんなことも知らないのか」と相手を
批判することにつながると考えています。
(そういえば、ドリアン助川氏が、以前テレビの深夜番組で「'そんなの常識だろう'と言ってしまう人間の冷たさ」についてお話をされていたことがあります。)

「〜など常識でしょう」という発言に不快感を持つ人間が存在することをご理解ください。

>私はあくまで日本で生まれ育った人間の話をしたいと考えていました。

私は米国在住経験があり、帰国後も外国人の同僚と共に働いています。また、井の中の蛙になるのを防ぐためにも、「日本」のみにこだわらないようにしていま
す。翻訳に従事している方々の中には私のような人間が多いと思っていたのですが、折口様はそうではなかったようですね。

>このあたりで議論を打ち切りにしませんか。

賛成です。
私は、虐待されている弱者のためのボランティア活動を週末などに行っているため、どうせ議論するならば、そういった弱者を守るための議論に時間を費やしたい
と思っています。
虐待されている弱者と比較すれば、「理系人間・文系人間の区別」など、実にどうでもいい、とるに足らないことですから、時間の無駄という気がします。


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Re:理系・文系酒匂 邦弘 E-mail URL3585/18-19:18
 記事番号355へのコメント

 酒匂 邦弘です。
 「理系人間」vs「文系人間」の議論が始まったのを読んで、そのような区別が
未だに蔓延っているのかと、また、その必要性があるのかと、先ずは驚かされま
した。
 学校で専攻したか、何らかの切っ掛けで身に付けた、一つの分野又は同一系の
複数の分野の才能に執着して、異なる系の知識に関しては、全く自己研鑽しない
人など居ないと思います。このような人が、競争社会で生き残れないことを、皆
が承知しているはずです。ただし、社会に出たての人々の中では、「理系人間」
と「文系人間」との差異が存在するのは当然です。

(1)「理系人間」と「文系人間」との区別:
 自分が「理系」であるとか「文系」であるとかを意識したり、他人の事をその
ような観点から眺めるのは、勤務先の業務内容、職場の規模、ローテーションの
有無などによって差があると思いますが、せいぜい、社会人5年選手までではない
でしょうか。

(2)「理系」、「文系」、「専門分野」:
 (汚い言葉ですが)専門馬鹿のままでは、社会人人生を生き続けられないでし
ょう。

 学校で学んだ専門分野の知識のみで貢献できて給料が貰えるのは、最初の1年未
満でしょう。むかし風に言えば、最初は「I型人間」でしょうが、次第に「T型
人間」、「パイ型人間」に変わっていく(変わっていかなければならない)はず
です。勉強したり経験したりした分野が多数に渡る人は、さしずめ「クラゲ型人
間」とでも呼ぶのでしょうか。

 「理系」や「文系」という枠の中に閉じ籠もって、得意な分野を増やすのでは
なく、「理系」の人は「文系」の中の分野について、「文系」の人は「理系」の
中の分野について、それぞれ腕を磨かなければならないと思います。終身雇用の
時代は終わったのですから、「I型人間」のままでは、若くてもリストラの対象
にされるでしょう。

 「あなたの専門は何ですか」と尋ねる人がいます。社会人一年生に対するので
あればいざ知らず、経験豊かな人に尋ねるのは、一般的には、大変失礼なことで
す。専門が二つや三つではないからです(「専門」が主題ではありませんから、
はしょります)。

(3)私の例:
 ”元”「理系人間」ですが、技術を主体とした業務に携わった後で、多数の法
律知識が不可欠な業務にも係わり、また契約文(法律文と同様な堅い文章)を英
語や日本語で書くことにも関係していました。その他、文系の知識を要した業務
は、多数あります。私が「専門は何ですか」と尋ねられたなら、何と答えたら良
いのか迷うほどの数になります。
 「理系人間」であるとか「文系人間」であるとかに係わらず、誰もが、この例
に似た、多数の「畑違いの分野」にも携わっていると想像されます。

(4)翻訳の場合:
 翻訳文という商品を、責任を持って納入して代価を得るのですから、たとえ「
クラゲ型人間」であっても、責任の負える分野に限定する筈です。従って、自分
自身を「理系人間」とか「文系人間」と思っている人がいてもおかしくはないで
しょう。しかし、そのように自分を思ったり、そのように相手を見たりして、何
のメリットがあるのでしょうか。「理系人間」や「文系人間」から逸早く脱皮す
る必要があるのではないでしょうか。

 英文科を優秀な成績で卒業して、技術畑の経験無しに技術分野の翻訳を行って
いる人を知っていますが、二通りの道を歩んでいます。
 1)専門書を読まずに、専門用語の辞書を引くだけで翻訳していた人は、淘汰さ
れました。
 2)苦労しながら専門書を読んだうえで、翻訳に取り掛かっている人は、「クラ
ゲ型人間」になっています。
 工学部を卒業して、技術分野の翻訳を行っている人の中にも、達意の日本語を
書くのに苦労して、結果的には専門分野を広げています。


 翻訳業であるとか、サラリーマンであるとかに、また理系であるか、文系であ
るかに係わりなく、業務をこなしながら、得意とする分野を増やして行かなけれ
ば、競争社会で生き残れませんから、「理系人間」であるか「文系人間」である
かは関係がない、いや意識してはならない/脱皮しなければならないと思います