地方で翻訳の仕事ができるか?

通訳翻訳ジャーナル1998年12月号掲載記事

地方で生活する・シゴトをする収支決算

イカロス出版・通訳翻訳ジャーナル
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【著者プロフィール】 地方都市在住のフリーランス翻訳者。IT翻訳でもインターネット関連のローカライズを多く手がけている。最近、地元のダウンタウン、観音寺の隣にオフィスを構えた。ときおり、ありがたい読経や鐘の音が聞こえてくる環境が気に入っている。ずっと在宅で仕事をしていたので、毎日通勤する生活が新鮮で楽しい。

地元のセミナーなどでは、立場上「地方在住でも遜色なく翻訳の仕事ができます」といっている私だが、確信がないというのが本音。首都圏に住んで翻訳の仕事をした経験がないのに、地方でも同じような条件で仕事ができますと断言するのは少々後ろめたい。本当はどうなのか、ちょっと考えてみよう。

翻訳をやろうと思った経緯

英語を使う仕事で脱サラしたかった。趣味ではなく生業にすることを目標にしていたので、通訳ガイド、通訳、出版翻訳、などいろいろ検討したところ、地方で生活していけるだけの安定した収入が得られ、しかも仕事にありつける可能性が高いのは、産業翻訳だという結論に達した。いまでも、地方在住で出版翻訳や映像翻訳でコンスタントに仕事を得るのは難しいと思う。また、知り合いで通訳者として生計を立てている人に聞いても、翻訳と通訳の仕事を半々くらいの割合で受けているという話である。したがって、通訳の需要もそれほど多いとは思えない。

技術習得はどのように行ったか。

最初は、通信教育も検討したが、飽きっぽい自分の性格では長続きしないと思い、断念。その過程で大手翻訳学校の通学部が 1つだけ地元にもあることがわかった。この学校に通って翻訳の基礎技能を体系的に学んだ。勉強仲間がいたのが励みになったと思う。

当時は、翻訳会社に務めることも考えた。やはり、最初は翻訳会社の内部から業界を勉強した方がいいと思ったからだ。地元の会社にあたってみたが、会社の数自体が少なく、タイミングよく求人しているところがなかったので断念した。しかたなく、まったく未経験の状態でフリーランサーを目指すことになる。首都圏に住んでいれば、きっと就職先が見つかったと思う。

フリーランサーとして独り立ちしてからは、独学で専門知識を習得した。コンピュータ専門誌を読むことが基本だが、なんでも試してみないと気が済まない質なので、マシンを自作したり、プログラムを書いたりする。自宅にC/Sシステムまで構築してしまった。これを活かすために、近々専用線を導入する予定。最近は、地方都市でもPCの部品が簡単に手に入るし、秋葉原の専門店の通販も利用できる。地方のハンディは感じない。

現在の仕事の内容

最初は、よろず屋だったが、現在は IT 関連の英文和訳を専門で請け負っている。とくにソフトウェア ローカリゼーションがらみの仕事が多い。8 割以上が東京の翻訳会社との取り引き。仕事のボリュームや条件を考えると、首都圏の会社とレギュラーで取り引きしたほうが圧倒的に有利だと思う。また、数こそ少ないが、九州、北海道、北米など遠方の会社の仕事を請けた実績もある。いずれもインターネットが縁となって受注した。元原稿、資料、翻訳原稿などのやりとりもE-mail と FTP で済ませてしまうので、インターネットですべての業務が完結する。IT分野の翻訳は仕事の進め方が洗練されていて比較的需要が多いので、地方在住者には向いていると思う。

余談だが、E-mail の送受信さえできれば、無人島でも仕事ができそうな気がする。衛星携帯電話のイリジウムとノート PC、それに出力 100W 程度のソーラーパネルがあれば十分実現可能だと思う。近々、休暇がてら実験して、その結果を Web で報告するかもしれない。

地方都市で生活して仕事をするメリットとデメリット

仕事の受注機会


翻訳の需要も翻訳会社も首都圏に集中している。特に、IT翻訳ではその傾向が顕著である。よく首都圏に住んだほうがいいという話を聞く。これは、翻訳会社の担当者は、同じ能力の翻訳者が 2 人いたら、遠くの人よりも近くの人の方に先に依頼するという経験則を根拠にした説だが、筆者もその通りだと思う。人間誰しも、物理的に近くにいる人のほうに親近感や信頼感を覚えるという心理が働く。近くに住んでいる人なら、万一の場合でも、すぐに呼びつけられるという安心感がある。
私自身、北海道の会社と初めて取り引きする機会があったが、電話をかけてベルが7回鳴った段階で不安になった。この会社、ちゃんと代金を払ってくれるだろうか、なんて勘ぐったりした。相手が遠方だとちょっと様子を見に行く、というわけにはいかないので、不安が増大する。自分が行ったことのない土地だったりすると、ものすごく遠くに感じるから不思議だ。

田舎のプレスリーでは通用しない?

ある人の記事の受け売りになるが、翻訳業界もグローバル化が進んでいて、地球的レベルで競争力のあるところには仕事や金が集まり、ローカルではそこそこ通用してもグローバルで弱小なところは、業績不振にあえいでいるそうだ。

個人翻訳者についても同じことがいえる。翻訳の技能レベルが圧倒的に高ければ、どんな僻地に住んでいようと翻訳会社は引き合いを出してくれる。やはり、腕がよければ住んでいる場所は関係ない、ということになる。

それでも、地方在住の翻訳者が首都圏の会社と取り引きする場合は、相手に不安を感じさせないように注意する必要があると思う。たとえば、仕事の連絡はきちんとする。E-mail での問い合わせには迅速に回答する。電話にはベルが 4 回以上ならないうちに出る(笑)。これらは、ごく基本的なビジネスのルールなのだが、翻訳会社の外注担当者に言わせると、その当たり前のことがおろそかになっている翻訳者が多いそうだ。また、年に 1 回くらいは上京して顔をつなぐことも大切だと思う。一度、取引先を訪問して面識を得ておくだけで、ずいぶんと先方の自分に対する印象がよくなる。誰だって、一度も会ったことのない相手には不安を抱くが、遠いところをわざわざ自分に会いに来てくれた人には好感を持つ。

売り込みに翻訳者の求職サイトを利用する

地方在住者の場合、最初に自分の腕の良さを知ってもらうまでがネックになるかもしれない。売り込みの方法を工夫する必要がある。最近は、Web で翻訳者が求職できるサイトがいくつかある。たいていは無料で、リアルタイムでデータを登録できるようになっている。誰でも制限なく登録できるものなので、効果は期待できないと考える人が多いのだが、案外、すぐに仕事に結びつくような引き合いがよくあるようだ。自分の Web サイトへのリンクを掲載しておけば、詳しい経歴、実績、得意分野などの詳細情報を紹介できるので、効果がさらに高くなると思う。筆者の場合、過去 18 ヶ月間の新規取り引きの 90%近くが、このような Web が縁となったものであった。たとえば [翻訳者ディレクトリ] には、頻繁に翻訳会社からの引き合いがある。他にも [翻訳Web]や[Honyaku Home Page]が有名。これからの翻訳者の流通は、Web や ML などのインターネットが主流になるだろう。地方在住の翻訳者にはありがたいことである。

書籍や電子辞書の購入

書籍や電子辞書に関しては、日本全国どこにいても同じ条件で購入できる。インターネットやNIFTY-serveで利用できるヤマト運輸のブックサービスが有名。私も何回か利用しているが平均 4 日くらいで到着するようだ。一般の書店に注文して取り寄せるよりずっと早いし、母体が宅配便なので、ドライバーが自宅に届けてくれて便利。本は代金と引き換えに受け取る。何冊買っても 1 回の手数料は 350 円とリーズナブルな料金設定。都市の中心部にしかない大型書店に出かけて、目的の本を探し出すのに必要な手間と時間を考えれば安いものだ。交通費の分だけで元がとれる。洋書については amazon.com が有名。こちらはクレジットカードを利用する。

生活コスト住居費、分譲マンション、持ち家、生活の豊かさ

これは、いうまでもなく地方のほうが圧倒的に有利。バブル崩壊後地価が下落したとはいえ、東京圏の土地は、普通の人には高嶺の花。建売住宅の価格の大部分が土地の値段だったりする。地方なら、同じサイズ、内・外装レベルの一戸建てが数分の一の値段で購入できることもある。郷里の実家で両親と同居で暮らす場合は、生活コストがかなり安く済む。その分を、自分の趣味や豪邸(笑)の建設費にあてることができる。

生活の豊かさについては、個人の価値観の問題になるが、筆者は地方を選ぶ。学生時代+アルファを東京で過ごした筆者は、学校に行く暇を惜しんで都会の生活を満喫したので、いまさら都会暮らしに未練はない。むしろ、自然と共生する田舎暮らしにあこがれている。

人脈と情報

統計をとったわけではないが、翻訳者の数が最も多いのが首都圏であるのは間違いない。当然、翻訳関係者のサークルや勉強会の数も多い。地方在住者も、首都圏に太い人脈を持つことが大切だ。仕事やツールに関する情報は、東京に集まるし、優秀な翻訳者も首都圏に多い。受注機会の多い首都圏在住の翻訳者と親しくしておけば、仕事を紹介してもらえるかもしれない。もちろん、地元の翻訳者仲間とのつきあいも大切だが、それだけでは十分な情報は得られない。

地方在住者が首都圏に人脈を築くには、ありきたりだが NIFTY-serve やインターネットを利用するのが現実的な方法だろう。翻訳者が集まるコミュニティやメーリングリストは多いが、なるべくビジネス ライクなところを選んだ方がいい。なれあい的な色彩の濃いところに時間と労力を費やしても、建設的な人間関係が築けるとは思えないからだ。

翻訳関係の勉強会やセミナーなどは、たいてい東京か大阪で開催される。このようなイベントでは、業界の動向、ツールなど、貴重な情報が得られることが多い。交通費と時間を惜しまずに、これらのイベントに参加することが大切だと思う。実は、筆者は一時期上京するのがめんどくさくなって情報収集を怠っていたため、IT翻訳で必須ツールとなった TRADOS の導入が遅れたという苦い経験がある。仕事が順調にきているからといって、なんとなく安心していると、置いてきぼりを食うのがIT翻訳業界だ。

地方在住でこれから翻訳者を志す方に

地方在住でも自分一人くらいが食べていけるくらいの収入を得るのは難しくないし、能力があれば家族を養っていくことも不可能ではない。仕事上の多少のハンディには目をつぶり、地方に住んで豊かな生活を実現するのは賢明な選択だと思う。逆に、一介の外注翻訳者という地位に飽き足りず、業界の頂点を目指すという人は、やはり東京に住んだ方が何かと有利だろう。まだ若い人は、いっそのこと、気の向くまま各地を転々として、首都圏や地方での生活を満喫してから永住先を決めるのもおもしろいかもしれない。翻訳の仕事はどこでもできるのだから…。

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