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生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その1) | 南都隆幸 email Web | 1469 | 4/8-17:51 |
「年齢と共に生きる意味が見出しにくくなってきた」というコメント
がお二人から寄せられました。とても正直な心情の吐露であるこのよ うなコメントを読むと、私はうれしくなります。嘘がないのです。こ ういう思いをひたすら隠したり、他の人がそのようなことを言ってい る時に、やたらにそれを嫌がったり攻撃したりする人がいます。私に 言わせれば、人間はみんな、強い(と自他共に思われている)人も、 弱い(と自他共に認められている)人も、頻度や程度の差こそあれ、 「生きる意味が見出しにくい」と感じているのだと思います。そして そういう思いは、誤魔化さない方がよいと思います。そういう自分を すんなり受け入れて、それを自分の人生の土台に据えた方が、自分と 他人に優しくなれ、人間や社会を大きく深い立場から見られると思い ます。 「生きる意味」というものは初めからなくて、生きることそのものは 実はまったく無意味なのだという立場があります。あるいは、大きな 意味があるという立場もあります。そして、生きる意味は自分で作り 出すものだという立場もあります。 17歳のころからこういう問題に取り組んでいた私は、49歳くらいにな って、やっと私は、この問題には悩まされなくなりました。とは言っ ても、「生きる意味がある」つまり「この宇宙の外にある何か偉大な ものが私たちの生きる意味を作り出している」とは思っていません。 もしかしたら、生きることには客観的かつ普遍的な意味はまるでない かもしれないと思っています。でも、かつての私とは違って、生きる ことにそのような意味があろうがなかろうが、私自身にとってはどう でもいいのです。 今の私にとって重要なことは、「生きることを楽しいと感じている」 という事実です。幸いにして私は、51歳の今でも、両足で立ってい る。それほど病院の世話にならずに生きていくことができる。ありが たいことです。その他の点でどんな不運があろうと、私には「両足で 立てる」ということだけでも、大きな祝福です。事故のために65歳の ときから歩くことが不自由になった身体障害者の母を見ていて、特に そう感じます。 「生きる意味」については、今の私は、実に単純に、こう考えていま す。そのためなら死ねる、と思えるようなものを持っていれば、その 人は生きる意味を感じている。 1年6ヶ月ほど前、私は音楽とダンスに凝り始めました。テンポの速い アメリカのポップ音楽に合わせて、ストリートダンスみたいなものを 踊るのです。若いときからダンスは好きだったはずなのですが、「ま ずは手に職をつけないといけない」という使命感があまりにも強く て、人生を楽しんでいる場合ではないと思っていました。それに、か なり悲観的な人生観や世界観を持っていましたので、人生を楽しむな どという発想は、初めからありませんでした。若いころの私は、ただ ひたすら勉強して仕事して、苦行することに悲壮な、捻じ曲がった喜 びを感じていました。 50歳になったときから、やっと「僕にだって人生を楽しむ権利があ る」と思えるようになり、音楽とダンスを心から楽しむようになりま した。おかげで、「明日、死んでも悔いはない」と文字通りに思える 恍惚の瞬間をときどき経験します。 (その2に続く) |
生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その2) | 南都隆幸 email Web | 1470 | 4/8-17:52 |
記事番号1469へのコメント (その1からの続き)
17年にわたって連れ添った相手と6年前に離婚。子供もいない。そのあ と、一世一代の悲壮な片思い。詐欺師みたいな人たちからひどい仕打 ち。遊びを知らない私はひたすら勉強して仕事していたので、長年に わたってお金も貯めていた。でもそのお金もつまらないことのために 流れていった。深い孤独感とか空しさに打ちひしがれ、「もう死ぬし かないのか」というような失意のどん底から這い上がり、命がけで踊 り始めた。どうせ死ぬ命なら、ダンスによる過労で死のう。 始めたころは、慣れないダンスなのに真冬に命がけで取り組んでいた ため、膝を痛め、インフルエンザにほとんど常に罹っていた。外科と 内科には、週に二回くらい、通院。膝と腕に注射ばかり。薬を飲み湿 布を貼り、足底板(そくていばん)という特殊な器具を医者から処方 されながら、激しく踊り続けた。体を壊して二度と踊れなくなるかも しれない。それでもいいと思った。あまりに激しく踊るので、最初の 数ヶ月は、どのクラブやディスコで踊っても、警備員から呼び止めら れる。「周りの人に迷惑がかかるから、もっと大人しく踊ってくださ い」私が本気で踊ると、5メートル四方、10メートル四方を占拠してし まう。 一年くらいかけてやっと、人に迷惑がかからず自分の体をも痛めない 踊り方ができるようになる。そんな中、私の傷ついた心も、いつしか 癒えていた。数年来の心の傷のみならず、幼いころからのトラウマさ え消えていた。 少しお酒を飲んで、美しくテンポの速い音楽に合わせて、滝のように 汗をかき、腰が砕けるかと思うまで踊ると、天にも昇るような至福。 大阪ミナミのクラブやディスコに行って、あらゆる国籍の20代の若者 たちと朝まで6時間、ほとんど休みなく踊り狂うと、すべての人々と一 体になったかのような気分。「梵我一如」(ぼんがいちにょ)という か、宇宙と合一したかのような自分を感じるのです。そういう意味 で、私にとっての音楽やダンスは単なる趣味ではなく、それはまさに 宗教であり哲学であり、生きることそのもの。 踊っていると、いろんな国籍の若い男女が近づき、握手を求めてく る。「あなたを見てると、楽しい」そう言ってくれる。私が自分の幸 せを追求するとき、人を傷つけたり不愉快にさせてしまうのではない かとついつい心配になりますが、ダンスにおいてはそういうことはな さそうだと思い、とてもラッキー。 「明日、死んでも悔いはない」と思えるくらいの感動をたびたび体験 し、生まれて初めて、人生の醍醐味を堪能。これが、私にとっての 「生きる意味」。 何に生きる意味を感じているか、そういう生き様が、翻訳者だけでな くすべての職業人の仕事ぶりに反映されるでしょう。生きがいを感じ ている翻訳者は、よい翻訳者になれるはずです。私自身は、決して優 秀な翻訳者ではありません。でも、せめて溌剌と生きる翻訳者であり たいと思っています。溌剌と生きるためには、自分の好きなことや信 じることのためには死ぬことをも厭わないという覚悟で生きていきた いと思います。「生きる意味というは、死ぬことと見つけたり」 (終わり) |
Re:生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その2) | ピヨピヨ | 1472 | 4/9-22:56 |
記事番号1470へのコメント 今、ちょっと覗いてみたら生きる意味とか問題になっている・・。
自分の人生設計を立てておくのもフリーランサーの仕事の一部だと思 いますが・・。 もっと夢を語りましょうよ! 私の場合、あと3年以内に貯蓄を3000万まで増やし、医薬バイオ翻訳に 加えて、英語教室、メディカルライティング、通訳、ドイツ語翻訳、 サイエンス関連の文芸翻訳に進出するつもりです。実力とお金を蓄え ながら、物件や人材を探しつつ、夢を膨らませる過程は幸せそのもの ですよ。 しかし・・踊りながら過労死する・・・関西人特有のシリアスユーモ アでしょうか。。そこまでやるなら幸せな死に様なんでしょうね (笑)。硫化水素での自殺とか流行ってますが、私には連中の気持ち はサッパリわからん。連中には精神的糖尿病の診断を下します。 |
生きる意味が見出しにくい人へ | 南都隆幸 email Web | 1473 | 4/11-11:50 |
記事番号1470へのコメント 生きる意味が見出しにくくなっている方々のコメントを私なりに真面
目に受け止め、私なりに誠実に答えたつもりだったのですが、もしか したら答えになっておらず、かえって嫌味になってしまったかもしれ ません。 つまり、年齢と共に生きる意味が見出しにくくなっている人は、人生 における一大事件をきっかけとして、生きることへの情熱が以前より も少なくなっているのです。でも私はそれに対して、「そのためには 死んでもいいと思えるようなものを持っていれば、生きる意味を感じ るはずだ」などと言いました。これはまるで、「お金がないから、困 った」と言っている人に対して、「お金があれば困らないはずだ」と 言っているようなものであって、実に馬鹿げた議論でした。 というわけで、もし私の今回の話が嫌味に聞こえてしまったら、ごめ んなさい。私としては、生きる情熱を失いかけている人に私なりの体 験をお話しすれば、その人たちをもしかしたら少しでも元気づけるこ とができるかもしれない、などと考えていました。 生きる意味を見出しにくくなっている人に対する慰めや解決の言葉 は、残念ながら私にはありません。生きる意味を10代のときからすで に見出せないでいて、数十年経った今でもその状況が変わらない人 も、私の親しい人の中にいます。しかし、何十年かけても、やはり私 はそういう人たちの悩みを解決してあげることなどできませんでし た。そもそも、そういう問題を解決してあげようなどと考えること自 体が、傲慢ですよね。 私にできることはただ、私なりに精一杯生きること、そして、生きる 意味が見出しにくい人たちを決して差別したり拒絶したりしないこ と、そしてその人たちの話を最後の最後まで聞き続けること、それだ けです。生きる意味が見出しにくいことは、決して悪いことでも弱い ことでもないのです。それどころか、そういう人の方が、生きる気力 に溢れている人よりもはるかに「人生を深く知っている」かもしれな いのです。生きる意味を見出しにくくなっているからこそ、人生の最 も奥深い真理を見極められるかもしれないのです。 なお、そういうことについては、たくさんの哲学者や思想家や文学者 が書いていますが、その中でも、ウィリアム・ジェームズの「宗教的 経験の諸相」という心理学書が好きです。この本はとても読みやすい 本ですが、健康な人よりも心の病を持つ人の方がもしかしたら人生を 深く知っているかもしれない、というようなことを書いていたように 思います。記憶がはっきりしませんが、たぶんそうだったと思いま す。 http://tinyurl.com/5ohmuu 本当は、私がここでこういう問題について書き続けることによって、 悪意のある誰かを刺激してしまって、その人が悪意あるコメントを書 いてしまい、それによって一部の人が侮辱されることになるかもしれ ませんが、どうしても今回のことだけは書いておきたいと思いました ので、投稿させていただきます。翻訳を続けている人であれ、それを 断念した人であれ、老若男女を問わず、境遇や才能や業績を問わず、 ともかくこれからも生き続け、私を含む他の人たちと、できれば積極 的に関わり続けてほしいと願う次第です。少なくとも私は、それを楽 しみにしております。 |
Re:生きる意味が見出しにくい人へ | おぺら | 1474 | 4/11-13:37 |
記事番号1473へのコメント 私と私の愛する人たちが、「今日も幸せな日だった」と一日でも多く思
えること。 それが今の私にとっての、生きる意味です。 人それぞれですね。 以前は、「人から見てうらやましがってもらえる自分」になりたいと思 っていました。その考えがなくなってからが、私の人生のはじまりだっ たような気がします。 お金が生き甲斐の人もいるでしょう。 お金によって変える具体的なものが生き甲斐の人もいるでしょう。 名声が生き甲斐の人もいるでしょう。 もちろんダンスも。 みんな自分が楽しいことをしていればよいのだと思います。 |
Re:生きる意味が見出しにくい人へ | おぺら | 1475 | 4/11-13:39 |
記事番号1474へのコメント 私のコメントが誤解を招いてしまったかもしれません。
生きる意味が見いだせないイコール、悩みでも、悲惨な状況でもないの で す。 説明難しいですけど… |
Re:生きる意味が見出しにくい人へ | ピヨピヨ | 1476 | 4/16-13:00 |
記事番号1475へのコメント 以前、野球をしていたのですが、翻訳仕事とバッティング練習は似て
いるんですよ。 バッティングの何が面白いと訊かれても、明確には答えられないんで すが、来たボールにバットを合わせる。この動作に快感を覚える んです。スタンスを変えたり、振りかぶり位置を上下させたり、少し ずつ変化を加えながら・・ 翻訳も似ています。英語を日本語に訳す、日本語を英語に訳す、少し ずつ工夫しながら、技術に磨きをかけていく。 幸せって案外、単純なものかも知れません。 深刻に考え過ぎれば・・・「硫化水素」なのかも |