(その1からの続き)
フランス語の翻訳については、全部で百万円くらいしか稼ぎませんで
した。ルーマニア語についても、全部で20万円くらいだったと思いま
す。
さて、そういうふうに何でもかじってきた結果として、本当によかっ
たと思ったことがあります。それは、次のような体験でした。
ルーマニア語で書かれた医学論文(仕上がりの和訳原稿で、400字 x
15枚くらい)と、法律文書(仕上がりの和訳原稿で、400字 x 45ペー
ジくらい)と、それから、食品関係の日本語のパンフレットをルーマ
ニア語に訳すという仕事(仕上がりで 300語くらい)というものでし
た。
三つとも、僕にとってとても新鮮な体験でした。医学論文にしても法
律文書にしても、僕はこの21年間のフリーランサー生活とその前の社
内翻訳4年間のあいだに、いくらかやったことがありました。だから、
それほど難しいものでなければ、英語ならかなり正確に訳せる自信は
ありました。そしてルーマニア語については、たったの5年ほど独学で
勉強しただけでした。そういうふうな経験不足と知識不足をきちんと
クライアントに伝えました。「もし専門的に正確な翻訳をご希望な
ら、私にはこのお仕事はできません。でも、もしこのお仕事をいただ
けるのなら、私なりに精一杯やらせていただきます。私でよければ、
どうぞご用命ください」
その上で、このようなお仕事を頂き、精一杯にやりました。その結
果、顧客はけっこう喜んでくださいました。私にとって、とてもうれ
しい体験でした。ルーマニア語などというマイナーな言語の翻訳者で
ありながら、しかも医学とか法律の専門的な知識をかなり持ち合わせ
た人なんて、おそらくはとても少ないはずです。だから、私のように
専門知識の薄い人間でも、お役に立てることがあったわけです。とは
いえ、もし私が医学論文とか法律文書なんてまるで読んだことのない
人間だったら、お断りしていたでしょう。私が何でも屋だったから
こそ、このようなお仕事が来ても、恐れることがなかったと言えると
思います。
ルーマニア語は、たったの6年だけ、しかも独学で勉強しただけのもの
でした。でも、少なくとも最初の3年ほどは、命がけだったと言っても
いいくらいの意気込みで勉強していました。ルーマニア語の学習に打
ち込むことなしには、僕はもう死ぬしかないとさえ思い込んでいまし
た。そのころは、いろいろな意味で僕は涙の谷をさ迷っていたので
す。ルーマニア語の学習が、僕の命を存続させていたのです。
というわけで、何でも屋であっても、よい意味での何でも屋になる努
力さえしていれば、それなりに世間の役に立てるときがあるだろうと
僕は楽観しています。そして、ほんのわずかながらも、僕だって世間
の役に立ってきたに違いないと自負しています。
(その2の終わり)
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