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タイトル: 生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その2)
投稿者 :南都隆幸  <email> <Web>
投稿時刻 : 2008年4月8日17時52分 
本文:
(その1からの続き)
17年にわたって連れ添った相手と6年前に離婚。子供もいない。そのあ
と、一世一代の悲壮な片思い。詐欺師みたいな人たちからひどい仕打
ち。遊びを知らない私はひたすら勉強して仕事していたので、長年に
わたってお金も貯めていた。でもそのお金もつまらないことのために
流れていった。深い孤独感とか空しさに打ちひしがれ、「もう死ぬし
かないのか」というような失意のどん底から這い上がり、命がけで踊
り始めた。どうせ死ぬ命なら、ダンスによる過労で死のう。

始めたころは、慣れないダンスなのに真冬に命がけで取り組んでいた
ため、膝を痛め、インフルエンザにほとんど常に罹っていた。外科と
内科には、週に二回くらい、通院。膝と腕に注射ばかり。薬を飲み湿
布を貼り、足底板(そくていばん)という特殊な器具を医者から処方
されながら、激しく踊り続けた。体を壊して二度と踊れなくなるかも
しれない。それでもいいと思った。あまりに激しく踊るので、最初の
数ヶ月は、どのクラブやディスコで踊っても、警備員から呼び止めら
れる。「周りの人に迷惑がかかるから、もっと大人しく踊ってくださ
い」私が本気で踊ると、5メートル四方、10メートル四方を占拠してし
まう。

一年くらいかけてやっと、人に迷惑がかからず自分の体をも痛めない
踊り方ができるようになる。そんな中、私の傷ついた心も、いつしか
癒えていた。数年来の心の傷のみならず、幼いころからのトラウマさ
え消えていた。

少しお酒を飲んで、美しくテンポの速い音楽に合わせて、滝のように
汗をかき、腰が砕けるかと思うまで踊ると、天にも昇るような至福。
大阪ミナミのクラブやディスコに行って、あらゆる国籍の20代の若者
たちと朝まで6時間、ほとんど休みなく踊り狂うと、すべての人々と一
体になったかのような気分。「梵我一如」(ぼんがいちにょ)という
か、宇宙と合一したかのような自分を感じるのです。そういう意味
で、私にとっての音楽やダンスは単なる趣味ではなく、それはまさに
宗教であり哲学であり、生きることそのもの。

踊っていると、いろんな国籍の若い男女が近づき、握手を求めてく
る。「あなたを見てると、楽しい」そう言ってくれる。私が自分の幸
せを追求するとき、人を傷つけたり不愉快にさせてしまうのではない
かとついつい心配になりますが、ダンスにおいてはそういうことはな
さそうだと思い、とてもラッキー。

「明日、死んでも悔いはない」と思えるくらいの感動をたびたび体験
し、生まれて初めて、人生の醍醐味を堪能。これが、私にとっての
「生きる意味」。

何に生きる意味を感じているか、そういう生き様が、翻訳者だけでな
くすべての職業人の仕事ぶりに反映されるでしょう。生きがいを感じ
ている翻訳者は、よい翻訳者になれるはずです。私自身は、決して優
秀な翻訳者ではありません。でも、せめて溌剌と生きる翻訳者であり
たいと思っています。溌剌と生きるためには、自分の好きなことや信
じることのためには死ぬことをも厭わないという覚悟で生きていきた
いと思います。「生きる意味というは、死ぬことと見つけたり」
(終わり)



親記事コメント
生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その1)-投稿者:南都隆幸 Re:生きる意味というは、死ぬことと見つけたり (その2)-投稿者:ピヨピヨ
生きる意味が見出しにくい人へ-投稿者:南都隆幸

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