日本における中国暦法
「二、中国における暦の源流」より
文献資料では、『史記』(暦書)と『尚書』(尭典)には、
顓頊(注)のころ「観象授時」をつかさどる
「火正」の役職を設け、つづいて帝尭が「羲和」の官を
任命し、四方に遣わして日月星辰を観察し、歳時節気を
定めさせたとある。
(注)左の文字の偏は上が「山」下が「而」、旁は「頁」、
右の文字の偏は「王」、旁は「頁」
出典
http://www.zdrbs.com/japanese/paper/wy/05.htm
"観象授時" をGoogleで検索すると、参考になるものが色々
ヒットします。
素人のコメントですが何らかのご参考になれば幸いです。